怒りについてちょっとだけ考えてみた

車を運転してる時
気が付くと妄想?がはじまっていて知らない間に目的地についてる時がよくある(危ないっす笑)

この妄想が楽しいから最近はあんまり車で音楽をかけない
無音空間

今朝のテーマは

「怒っている人のそばにいるのが苦痛」(自分も怒ったりイラつくくせにね)

誰かが私の隣でイライラしたり怒りの言葉を吐いていると
その対象が私でなくても肌がチリチリして
胸の中心でまるで雑巾をしぼっているような
その雑巾に自分がなったような感覚になるから
だから怒っている人の隣にいるのがきらい

好きな人はあんまりいないとは思うけど😅

多分、人から見たら私はそんなことあんまり気にせず
しれっとしてるタイプに見えると思う
内心はおろおろしたり自分自身もその状況にイライラしたりしてしまう

怒りの奥には悲しみや孤独が隠れている、とエーリッヒ・フロムの「愛するということ」の中に書いてあった
怒りとして表出しているのは表面的なことで、その人が感じた孤独や悲しみ、寂しさがそんな形で外に出てしまっただけ

ということは
もしかしたら
その人のことを深く知るチャンスなのかも

怒っているその対象や状況に何か孤独や悲しさを感じてる
ほんとの願いや欲求があって
それが叶えられなかったから

寂しかったり、悲しかったり

そう思えたら
なんだか今度から怒っている人の隣にいても
冷静に観察できそうな気がしてきた
怒りのその向こうに目を向ける

なんかいいこと思いついちゃったなぁ~と
気分がよくなったところで今日も目的地に到着していましたよ

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